第4章開始、パンを食べながら未来を語る。

社内コンセンサスを取って契約したらある専門領域での新戦力を正式に仲間に向かえ入れます。

20年近く海外に住んでいた日本のディアスポラの様な仲間達と、日本で法人を作り、日仏英語を駆使してアフリカとフランスでビジネスを進めている。

となると弱かったのは海外に出ようも頑張る日本企業と反対で、日本国内での専門家が戦力としていないという特別な構造。

国内外を表裏一体と言うならば、我々は裏の存在というわけだ。

海外ビジネスを「拡大」では無く「創る」というのは、表人材の駐在員では非常に難しい。
なぜなら駐在員という名がすでに既存のビジネスのレール上に乗る恵まれた環境で過ごすことが出来、途上国であるほど社内規則の安全上を理由に、社用車と運転手、警備やメイドさんまであてがわれる市民生活とかけ離れた生活を「余儀なく」してしまう。外出も制限され家族は大変な思いもあるだろうか。

反対に、自ら発った起業家は、べたっとくっつくバスに乗り、排ガスまみれのボロッボロのタクシーに乗り込み環境汚染の苦しを痛感し、反対に人の営みと優しさも感じる。

友人や築いた伝てから、無電化村落の子供や診療所先生達の生の生活を知り、反対に、会社代表たる個の責任として魂を賭け、政府高官と交渉を進め、自らと仲間の助けを得て道無き道をわずかな情報と肌感覚と直感で進む。

海外では無論何も用意されず、言葉の壁、文化の壁、嗜好、教育、法律、規制、気候、滞在労働許可、滞在日数が増えるたびに法人個人ともに目減りする資産、失敗は全てを失う覚悟のもとで助け合いながら邁進している。

願いは世の中のため、仲間のため、家族のため、そして自分のため、自分のためは昔は意識してなかったけど、社会的なステータスが低い高卒でパリで起業した時代のコンプレックスが学卒をなんとか取り、Gでベンチャーズマネージメントを修了したことで少し楽になった。

というのは、この日本へ進出しアフリカ向けのビジネスをやろうと思わなかっならフランスに居続け、これらのささやかな学歴とGでベンチャーマネジメントの学びは、考え方や見方、多くの出会いが僕の人生を大きく変え喜びはすでにあるのだ。

もし僕が大学に落ちず日本で滞りなく生きていても、新たな学びと出会いは貴重だが、あれだけ苦しかったコンプレックスが吹きとぶほど今の環境尊く愛おしく強く逆に自信に繋がっている。

正科生でもない僕がGを語って良いかわからないが、これ以上は能力的にも時間的にも咲く余裕はないので、あとは専門分野に長けたメンバーや新戦力と共にスタートアップを育てる。

それは、フランス生活最後の夏に家族で訪ねたボッロメオ家の象徴「ユニコーン」。その姿を妻と見て奮い立ったあの気持ちでメガベンチャーへ育て、さらなるグローバル戦略の資金とする手段を一日も早く通過しないとならない。

無電化、無給水は遠いい場所の話と思われていたが、未曾有の台風一発で、まさかの何十万世帯の停電と断水が発生し、我が家の親類も千葉で大変な思いをしている。一日も早く復旧を願うばかりだ。

そう、当たり前なと無い。
今ある生活が明日もそして未来永劫あるわけもない。

経済、自然現象、ライフ、
日本ばかりではなく世界のどこでも「生き残り」という言葉がちらついているはず。

備えあれば憂いなし。

東急●ンズの広告キャッチコピーの様だが、

自ら想定する明るい未来と最悪の状況を鑑み、自らの本能と努力を「今、何へ」投じるべきか、スマホを置いて、自らの考えを、未来をアウトプットしてみても良いのではないだろうか。

敷かれたレールの先に何があるのか?「委ねてしまっていては」あなたも誰も責任は持ってくれないのだ。

しかし未来は環境が変わろうがちゃんとある。

その未来でどう生きていたいか、生きているかそれはそのアウトプットした結果がそこにある。

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