生い立ち。失敗が成長をさせてくれた。

生まれ

1972年、神奈川県で生まれ。長男、牡羊座、A型、一白水星。

小学生でバックパッカー(沖縄編)

小学校6年生の時、なぜか沖縄に魂をひかれていた。

灰谷健次郎の「太陽の子」を読み、物語の中で、ふうちゃんが過ごす情景が心を打ち、ますます気持ちが「行かなければ」位になってしまい、親父に相談した。

当時はパソコン通信もインターネットなどない時代。

パックツアーのカタログを見るが、自由に動けないし興味が持てなかったので、親にも自分にも驚くが、10万円だけ用意してもらって、一人好きに計画を立て、電車は時刻表をしげしげ見てみどりの窓口で予約し、飛行機は割引の効くスカイメイトに入った後、どこかでチケットを買った。

選んだコースの行きは、当時乗ってみたかった「ブルートレイン」の寝台特急「あさかぜ」で下関まで三等寝台で行き、博多までローカル電車で移動し、そこから福岡ー沖縄を空路で飛んだ。

EF66牽引 「あさかぜ」 2003年2月22日、横浜駅にて
寝台特急「あさかぜ」(出典Wiki)

 

当時は12歳なわけで、沖縄返還と1日違いに生まれたので、返還後12年という頃の沖縄。めんそーれ沖縄の文字を空港で見て、空港を出ると、ドンと戦車が金網の向こうに鎮座し、単純に初めて見たもんだから「すげぇ」と思い、那覇空港から名護までバスに乗り、国民宿舎泊。朝食のラフティーが美味しかった。今帰仁には行きたかったがよく考えたら時間がなく行けなかった。

嘉手納では米軍基地の広さにビビり、民宿に泊まり(傘を忘れ親に後日怒られw)、国際通りなどでは、さすがそこの頃は小学校な訳で、時々ゲーセンに入っては1942というシューティングゲームやったり、そんなことも楽しい思い出。それと、三国志を初めて買ったのも国際通りだったな。

南に下ってはひめゆりの塔など周り、ユースホステルを渡り歩き、南部を回る中、前世は俺はこの土地で死んだんだって思った。玉泉洞には時間切れで入れず泣いた記憶が。

ちなみに当時はANAが鷲尾いさ子をキャンペーン契約をしており、少年だけにドキドキしていたっけ。でも結局はパッケージではなく勝手に買ったチケットだったので、乗ったのは福岡からのJAL便。


帰りは京都まで空路で京都へ。市内をちょっと見て、青春18切符で鈍行にて横浜に戻る。自分で考えてもこの頃からやりたいと思う事への、行動力はあったようだ。

最後の鈍行で当時のポケットカメラを電車に忘れて、残念ながら沖縄の写真は一枚も残っていない。

そんな感じの小学生を終えた。

中学高校は海外に縁もなく、特筆する様なことはない。

大学受験失敗、高校卒業後、就職

大学受験がうまくいかず高校卒業と同時に就職。
ここで大学に受かっていたら全く違う人生を歩んでいたと今でも思う。

当時はデジカメもないので写真を探してみると、横浜の大黒ふ頭勤務だった頃に奴が出てきて、なぜか唯一残ってる写真は年末の大掃除。
各机にパソコンのない時代、どうやって仕事をしたいたのか。

23歳でバックパッカー(欧州編)

野毛でくだを巻く上司に自分の未来が見えてしまい、こんな40代になりたくない。もっと自由に生きたいと、若い時に出来ることをやっとかないと考え会社を悩んだ末に退職し、バックパッカーで半年を欧州全域を周った。

一旦帰国し、資金を貯める。

旅の後半、居着いたパリが気に入り、一旦日本に戻り資金を貯蓄しフランスへ留学。留学のテーマは舞台役者。この2年間にフランス人の突き抜けた学生達とバカな事やバカンスの過ごし方、世代の関係ない付き合い方、激しい喧嘩をしたのち更に仲良くなる景色。いろいろ学びしかなかった。

私設劇団にも入り、対人コミュニケーションが上手になった。初めからカメラが相手だとこうはいかない。

妻と出会い、パリで結婚。

そこで今の妻(日本人)と出会い、パリでフランス式の婚姻手続きで結婚。

NTT Franceに海外就職。

また不思議な縁が重なり現地でNTT Europeに就職。
ここの職場では多くの技術や人とのコミュニケーションの取り方、フランス以外の国でのビジネスの進め方など、OJTでたくさん教わった。その縁が今に続く絆も作った。

再度サラリーマンを卒業

その後は給与もよく、嫌だったサラリーマンは天職か?と楽しい日々だったが、フランスに来たテーマは自立して何かをするではなかったか?との思いもあり、現状に甘える自分と決別する為、そのままパリで起業を決意。

パリで起業

2018年1月パリでSUCRECUBE Technologiesを起業。当時はユーロが180円で景気も良く、順当にビジネスも軌道にのる算段だった。しかーし、半年後にリーマンショクがあり、市場は冷え込みビジネスは非常に厳しかった。
なんて、そんなことは関係なしに、NTTの肩書きが無くなった僕なぞ「がんばってる?」と励ましのお言葉をもらうのがMAXで仕事がなく、最初の3年は地獄でもはや思い出したくない日々を送る。この前後の人生について、またパリで起業をしたいと考える方もいると思うので、別のページか、またいつか書籍を書こうと思う。

日本の大学を卒業しました。

起業4年が過ぎ、素敵な仲間が集いビジネスが成長する中で、経営に必要な知識を求めるように日本の大学に通信教育で学んでいました。短大は計8年(一度挫折し中退、その後復学したが在籍期間切れで残り2単位足りず退学処分。しかし諦めずに復学した)かけての長い卒業までの道のりだった。大学は3年生に編入し順当に2年で卒業。これが2年前の2017年のこと。びっくりでしょ。

産能大学学長と。元富士通で長くロンドン駐在だったとか。

フランスから逆進出の形で日本法人を設立。

だんだんと準備は整い、2018年4月に千代田区六番町に日本法人設立。
資本金300万円で創業メンバーは4人。僕にとって2社目の起業。
日本進出はJETRO Parisさんにお世話になり、対日進出企業として赤坂の本部のインキュベーションオフィスを50日間施設を無償でお借りした。

グループ戦略は2ステップ 1、日仏貿易の促進 2、日本ーアフリカの貿易促進

大学院でベンチャーメネージメントを学ぶ

大学卒業後は、成長戦略である資本政策を何としても学ぶ必要があり、横浜で体験クラスで縁した、グロービス経営大学院で単科生で学び、その後、2年おきに開講されるベンチャー社長向けの特別講義Venture Management Program 2018で学んだ。2018年10月-12月。

現在は途上国のUHC(保健衛生)課題解決ビジネス推進。

現在は官民と日仏現地連携で、アフリカSDGs社会課題解決ビジネスを進めており、最終的にはユニコーンサイズのスタートアップ企業として、多くの国のUHC改善を目指しています。こちらのプロジェクトは公開していませんが、追って公表次第発表いたします。

 

2019年夏セネガル法人準備中

セネガルに法人を設立するので僕にとって3社目の起業。
セネガルの会社法はフランスとほぼ同じな為、設立自体はフランス法人を経験した僕にはとても容易。大事なのはどの国の資本で作ったかだ。

じつは、2社目の日本に法人を作ったのは、日本から西アフリカに進出した経営者として立場を確立し、官民連携で日本企業をアフリカに連れて来たかったからだ。

JICAスタディツアーでも要望が上がったが、現地に信頼できるパートナー企業が必要だが見つけられない。と。
そりゃそうさ、日本人同士だって信頼を掴んでから取引が行われるのに、距離も言語の壁が高く、ましてや日本語を話さない外国人は日本人は苦手としている。
日本人は日本人を信頼しやすいのはフランスで経験をしているので、セネガルに法人を立て、日本のサービスや製品を販売する代理店の機能を有する会社だ。

そして人生は続く。

華やかに見えるが、金を直接生み出す仕事に繋がっておらず、無給生活が2年目を迎え苦しさ満載だけど、この時期を仲間と乗り越えられるはず、そんな人生の先は僕自身も楽しみだね。今後もビジュアル通りに進むかは運勢の神と相談ですが、過去にあったこと、今起きていること、未来のことなど内容を少しづつ増やしていきたいと思います。

 

作成:2019年5月23日
更新:2019年6月6日