水が有る社会で水を安定提供する新事業。
水が無い社会で水を安定提供する新事業。
電気が有る社会で電気を提供する新事業。
電気が無い社会で電気を提供する新事業。
医療のある世界で安心を得られる世界。
医療のない世界で安心を諦らめる世界。
生活費が多く掛る地域のお金の必要性。
生活費が掛ら無い地域のお金の必要性。
前者と後者から見える世界は異なる。
その狭間を埋めようと新事業を興す。
「安定した環境に優しい電気を供給します」
新しい捻りは?
数字上所得が低いが払えるの?
そんな言葉が前者を生きる人から出てくる。
まあ当然だしそれが当たり前とも思える。
というのは、前者は環境が整い多くの競合がいる。
何するでも金の掛かる先進国の社会での慣れたその思考からしか物事を判断するしか無い。
しかし後者の世界はその必要性やお金の流れやちゃんと必要なものに支払う仕組みや、これまでも協力し合う事で何千年も生き残ってきたコミュニティーの結束は有るのだ。
その中で衝撃だったエピソードは、ある診療所の先生は、中央省庁から支援が届かないので地域コミュニティで力を合わせて、中古の救急車を購入したと。車ですよ?
安く無いと売れないと言う常識、安かろう悪かろうで良いならば、そうしたマインドの国に任せればよく、日本がかかわるなら最良なものを手に届く範囲で提供したら良い。この背景の差異やこのエピソードを直接聞き、そうすべきだと確信に至っている。