Philosophy | 視座

1 is born from 0.

ゼロからイチへ、そしてその先へ。

フランスで起業し、日本とアフリカを結ぶ3拠点の会社を経営していると、「順風満帆なエリート」だと思われることがあります。
しかし、現実はまるで違います。
私の歩みは、スマートな戦略の結果ではありません。何もないからこそ失うものを恐れず、ただ直感を信じて現場へ赴き、失敗を積み重ねてきた結果論に過ぎないのです。

もし、私の人生が予定調和に進んでいたら、今の景色を見ることはなかったでしょう。
「弱さ」を知っているからこそ、人の痛みがわかる。「持たざる者」だったからこそ、本当に必要なものが見える。
この泥臭い歩みこそが、私たちの事業の原動力です。

Leaders are Weak, Teams are Strong.

中心者はバカがいい。

私は完璧な人間ではありません。
できないことがたくさんあり、多くの人に支えられ、迷惑をかけながら生きています。
けれど、「こうあるべきだ」というビジョンを描く力と、リスクを恐れず飛び込む楽観性だけは、誰にも負けない自信があります。

リーダーの役割とは、すべての実務をこなすことではなく、揺るぎない旗印を掲げることです。
その旗の下に、私の足りない部分を補ってくれる優秀な妻や家族、そして最強の仲間たちが集まってくれた。
フランス法人では、既に現地の経営陣に権限を委譲し、彼女たちが自由に羽ばたける環境を作ることができました。
「一人で進めば早く進める、皆で進めば遠くまで行ける」。アフリカのことわざの通り、私は仲間に生かされ、遠くへ運ばれているのです。

Succession & Evolution

継承こそが、組織の命。

今、世界で戦う企業の多くは、強力なリーダーシップで牽引されています。
しかし、カリスマの輝きが強すぎれば、その影で次世代は育ちません。リーダーが去った後、組織が崩壊しては意味がない。
私の仕事は、自分が君臨し続けることではなく、次世代にバトンを渡し、「私がいなくても回る仕組み」を作ることです。
老いて座を譲るのではなく、最も脂の乗った時期にこそ権限を手放す。それが、組織と事業を永続させる唯一の道だと信じています。

Beyond Global, Be Glocal.

「海外」を捨て、「地域」を見る。

「日本の優れた技術を、世界へ売る」。
令和の今、そのプロダクトアウトの発想は捨て去るべきです。
競合他国は、徹底的なマーケットインで世界を席巻しています。現地の文化、生活習慣、財布事情を色眼鏡なしに見つめ、そこに自社の製品を「合わせる」。
それができなければ、どれほど高機能な製品も、現地では無用の長物に過ぎません。

かつて見た番組で、あるアジアのデザイナーが言いました。
「この服は、私の国では全く売れませんが、それが何か?」
この言葉にこそ、真理があります。
自国の常識を押し付けず、現地のローカル文化をリスペクトし、同化する。
「グローバル」という曖昧な言葉で世界を一括りにせず、それぞれの「ローカル」に深く潜る。
そうして初めて、心の距離が縮まり、ビジネスは国境を越えるのです。

Vision 2025: Co-Creation

援助から、産業へ。

私たちは今、新たなフェーズにいます。
これまで取り組んできた電力と通信のインフラ整備(TUMIQUI)を基盤に、これからは「産業」を創ります。

2025年、私たちは日本の大手企業と手を組み、セネガルでコールドチェーン(低温物流)を構築するプロジェクトを始動させました。
電気を届けるだけでは終わらない。その電気で農産物を冷やし、加工し、価値を高めて輸出する。
農家の所得を上げ、若者の雇用を生み出し、女性が活躍できる社会を作る。

アフリカの大地に、援助ではない、自走する経済のエコシステムを実装する。
日本とアフリカが対等なパートナーとして未来を共創する。
それが、私たちが目指す「次の景色」です。

カテゴリー Blog

About | Biography

越境する思考、実装する現場。

日本、フランス、そしてアフリカ。
3つの拠点を結び、医療・電力・物流の課題に挑む。
これは、国境を越えて「仕組み」を創り続ける、一人の実践者の記録である。

Origin: 衝動の原点

1972 – 1993

1972年、東京生まれ。

すべての始まりは、12歳の夏だった。
小学校6年生の時、灰谷健次郎の小説『太陽の子』に心を奪われた。「行かなければならない」。理屈ではない衝動に突き動かされ、両親に頼み込んで10万円だけを手にした。
ブルートレイン「あさかぜ」と飛行機を乗り継ぎ、返還後12年の沖縄へ。
パックツアーではない。自分で時刻表をめくり、宿を手配し、路線バスで島を巡る。
自分の足で歩き、自分の目で確かめる。この時に刻まれた「現場主義」の感覚は、40年経った今も、アフリカの僻地を歩く私の足取りと重なっている。

1982, Okinawa. 最初の旅。この時のドキドキを、今も覚えている。

高校卒業後、横浜の大黒ふ頭で就職するも、既定路線の人生に強烈な違和感を覚える。
「自分の人生は、これでいいのか?」
答えを探すように退職し、バックパック一つで欧州へ。半年間の放浪の果てに辿り着いたパリで、私は「自由」の感触を知った。

Challenge: 異邦人としての葛藤

1997 – 2017

1997年、パリへ移住。
演劇学校「Ecole Florent」に入学。異国の言葉、異なる文化の中で、身体一つで感情を伝える「表現」の世界に没頭する。舞台の上で学んだのは、人の心の機微と、言葉を超えたコミュニケーションの本質だった。

Paris. 役者を目指していた日々

その後、NTT Europeでの勤務を経て、2008年にフランスで最初の起業(SUCRECUBE Technologies)を果たす。
しかし、直後にリーマンショックが世界を襲う。仕事は蒸発し、「経営者」とは名ばかりの長く暗いトンネルを歩いた。
異邦人として、孤独と向き合いながら信頼を積み上げる日々。この苦難の時期が、経営者としての「胆力」を育てた。

40代半ば、さらなる成長を求めて日本の大学(通信課程)を卒業、グロービス経営大学院でベンチャーマネジメントを学ぶ。経験則を理論で補強し、次なる飛躍への準備は整った。

Vision: 架け橋から、共創へ

2018 – Present

2018年、株式会社シュークルキューブジャポン設立。
フランスから逆進出する形で日本法人を設立。「日本・フランス・アフリカ」を結ぶトライアングル経営が始動する。

転機は、セネガルの無電化村で訪れた。
「電気がなくて、夜の出産は命がけなんだ」
現地の医師の言葉に衝撃を受け、電力と通信を届ける「TUMIQUI(ツミキ)Project」を立ち上げる。
単なる物資の支援ではない。現地の人々が自立し、持続的に運営できるビジネスモデルの構築。セネガル保健省との連携、関西電力グループ等からの資金調達を経て、事業は加速していく。

2022年、第5回ジャパンSDGsアワード特別賞受賞。
現場での地道な活動が、日本政府に認められた瞬間だった。

そして現在。
活動は「点」から「面」へ。
2025年、大阪・関西万博を見据え、日本の大手企業4社と連携した「コールドチェーン(低温物流)構想」を推進。電気を届けるだけでなく、農業を変革し、産業を創るフェーズへと進化している。

Senegal, 2025. 大阪万博セネガルビジネスフォーラム

Profile Summary

佐藤 弘一 / Koichi SATO
起業家 / 株式会社シュークルキューブジャポン 代表取締役

1972年東京生まれ。1997年より渡仏し、パリ在住歴20年以上。
演劇、ITインフラエンジニアを経て、フランスで起業。
現在はパリ、東京、ダカール(セネガル)の3拠点をベースに活動。
アフリカの未電化地域に電力・通信・医療を届ける「TUMIQUI Project」を主導し、現地の社会課題解決とビジネスの両立に取り組む。
2025年より、日仏アフリカの企業連携によるコールドチェーン構築プロジェクトを牽引。

主な受賞歴・実績

  • 2019年:セネガル保健省とMOU締結
  • 2021年:関西電力グループ等より資金調達
  • 2022年:第5回ジャパンSDGsアワード 特別賞(SDGsパートナーシップ賞)受賞
  • 2025年:セネガル・ビジネスフォーラム(大阪)登壇

Affiliations

  • SUCRECUBE JAPON Inc. (CEO / Japan)
  • TUMIQUI JAPON SASU (CEO / Senegal)
  • SUCRECUBE Technologies (Founder / France)

カテゴリー Blog

Trajectory | 軌跡

越境者としての旅路:日本、フランス、そしてアフリカへ

私が歩んできた道は、決して一直線のハイウェイではありませんでした。 表現の世界に身を浸し、異国の地で孤独を知り、ビジネスの厳しさに打ちのめされ、それでも「現場」に立ち続けた。 これは、3つの大陸を渡り歩き、今なお問い続ける一人の人間の記録です。

Chapter 1: The Voyager

衝動と原点(1972 – 1993)

1972:Origin 東京に生まれる。

1982:The First Journey / 12歳の冒険 小学校6年生。灰谷健次郎の『太陽の子』に心を奪われ、「行かなければ」という衝動だけで親に頼み込み、単身沖縄へ。 ブルートレイン「あさかぜ」と飛行機を乗り継ぎ、返還後12年の沖縄の土を踏む。 パックツアーではなく、自分で時刻表をめくり、宿を手配し、路線バスで島を巡ったこの旅が、私の「現場主義」と「行動力」の原体験となった。

1993:Seeking Freedom / 欧州放浪 大学受験の失敗、そして就職。横浜・大黒ふ頭で働く日々の中で、既定路線の人生に強烈な違和感を覚える。「このままでは終われない」。 退職を決意し、バックパック一つで欧州へ。半年間の放浪の果てに辿り着いたパリの空気に、魂が共鳴するのを感じた。

Chapter 2: The Artist & The Survivor

表現と葛藤、そして異邦人としての戦い(1997 – 2017)

1997:Theatrical Roots / 表現者として パリの演劇学校「Ecole Florent」に入学。 言葉の壁を超え、身体一つで感情を伝える「表現」の世界に没頭する。フランス人の学生たちと激論を交わし、舞台に立ち、人間という不可解で面白い存在を深く観察した日々。この時培った「非言語コミュニケーション」と「度胸」が、後のアフリカでの交渉力の礎となる。

2008:Entrepreneurship / 起業と試練 NTT Europeでの勤務を経て、パリで最初の起業(SUCRECUBE Technologies)を果たす。 しかし、直後にリーマンショックが世界を襲う。仕事が蒸発し、「経営者」とは名ばかりの、長く暗いトンネルの時期を過ごす。 「何のためにここにいるのか」。自問自答を繰り返しながらも、歯を食いしばり、フランス社会の中で信頼を一つずつ積み重ねていった。

2017:Reskilling / 学び直し 40代半ばにして、日本の大学(通信課程)を卒業。さらにグロービス経営大学院でベンチャーマネジメントを学ぶ。 経験則だけでなく、体系的な「経営の知」をインストールすることで、次なる飛躍への準備を整えた。

Chapter 3: The Builder

架け橋をかける(2018 – 2021)

2018:Reverse Innovation / 日本法人設立 フランスから逆進出する形で、株式会社シュークルキューブジャポンを設立。 「日本・フランス・アフリカ」。この3拠点を結ぶトライアングル経営が本格始動する。

2019:Mission in Africa / TUMIQUIプロジェクト始動 セネガルの無電化村でのある医師の言葉に衝撃を受け、電力と通信を届ける「TUMIQUI(ツミキ)Project」を立ち上げる。 単なる支援ではなく、現地の人々が自立するためのインフラ作り。セネガル保健省とのMOU(覚書)締結を実現。

2021:Scaling Up / 事業の深化 関西電力グループ「K4 Ventures」等からの資金調達を実施。 コロナ禍においても歩みを止めず、遠隔医療や教育支援へとTUMIQUIの可能性を広げ、現地に深く根を張り始める。

Chapter 4: The Horizon

共創、そしてエコシステムへ(2022 – 2025)

2022:Recognition / 世界からの評価 第5回ジャパンSDGsアワードにて、日本政府より特別賞を受賞。 私たちが現場で積み上げてきた「ラストワンマイル」へのアプローチが、公に認められた瞬間だった。

2024:Localization / 「Made in Africa」への挑戦 「壊れたら終わり」の支援ではなく、現地で直し、現地で作るビジネスへ。 セネガル現地でのTUMIQUIキットの修理・製造体制を確立。現地の技術者を雇用し、真の意味での技術移転を加速させる。

2025:Co-Creation / 産業を創る 大阪・関西万博を見据え、活動は新たなフェーズへ。 日本の大手企業4社と連携し、セネガルの農業を変革する「コールドチェーン(低温物流)構想」を発表。 電気を届けるだけでなく、その電気を使って農産物を冷やし、加工し、輸出する。 「援助」を超え、アフリカの大地に持続可能な「産業」を創り出す挑戦が、いま始まっている。

And life goes on.

12歳の少年が沖縄で感じた風は、いま、セネガルの大地を吹き抜ける風と繋がっています。 日本、フランス、セネガル。 国境を越え、文化を越え、仲間と共に「まだ見ぬ景色」を作る旅は、これからも続きます。

カテゴリー Blog